感情の大爆発から手放しまで。苦しみと痛みを伴う感情の手放しを体験しました。
私の感情の大爆発が起き始めた5月〜6月頃。
ちょうどスーパームーンや夏至と呼ばれる天体のイベントがありました。スピリチュアル的観点では、この時期は、「地球のエネルギーも大きく変容が起こる」と言われています。
特に、「今年(2021年)のこの天体の移動時期のエネルギー変化はとてもパワフル!」であり、
私たち人間への影響としては、
「自分の内側や生き方を否が応でも見つめさせられ、本来の自分にそぐわないものは、浄化や手放さざるを得ない方向へ促される」
という情報は、自然と私の目や耳に入ってきました。
現実的観点では、梅雨時期に入り体調の変化が起こり易く、それによりメンタル面も不安定になる。という時期でもありますが。
ただ、私に起きた感情の大爆発は、「宇宙のエネルギー変容がもろに影響した」と言える、
自分の意思ではコントロール不可能なレベルの激しい内観を強いられ、内観する以外逃れようがない、
といった、辛く苦しい状態に引き込まれていったのでした。本当にもうビックリでした。
今、あの地獄のような体験を文章にして振り返ろうとしている自分がいる事が不思議に思うくらい、それはそれは想像を絶する2ヶ月間でした。
自分を邪魔する感情を手放すという作業が、こんなにも苦しみと痛みを伴うものだとは知りもしませんでしたから。
でもそれが、「インナーチャイルドの存在に気付き、インナーチャイルドを癒すこと」へと繋がる流れだったのです・・・
感情の大爆発のはじまりは・・・
それはチネイザン初回の帰り道から始まりました。
夕暮れの中に青々と茂る木々に囲まれて、夏の訪れを感じながら川沿いを歩いていると、なぜか泣きたくなるような感情が溢れ出てきました。
胸の中心が痛いというか、息苦しいような、ソワソワ落ち着かない感覚が起こり始めました。
その感情は「寂しさ」なのか?
穏やかな季節と景色の中を歩いて、平和を感じたのか?
それとも、哀愁を感じたのか?
とにかく泣きたくて仕方ない感覚なのだけど、涙は出ない。だけど、心の奥底に置き去りにされていた「寂しさ・悲しさ」という感情が私の心から表に出ようと、地割れのような、そんな揺さぶりが起こり始めたのです。
チネイザンの施術で潜在意識に穴を開けられたことで、これまで隠して忘れていた潜在意識の記憶や感情が出てくる好転反応だったのかもしれません。
それにしても反応が出るのが早過ぎて、自分に何が起きているのか冷静に見極めることができないまま、翌日からは、もっとすごい好転反応との戦いが待っていたのでした。
更に偶然か否か、スーパームーンと夏至を目前としている時期も重なり、もう忘れたと思っていた相当昔の苦しい感情の手放しへの時間の始まりでもありました。
それは、猛烈なパワーのトルネードの渦の中に突入していくような、自分の意思ではコントロールのつかない凄まじい荒れ狂い様でした。
その症状はどんなものかというと・・・
潜在意識や心に潜んでいる重くてネガティブな感情は、目には見えないものなので、その感情という塊が解毒される過程は、とにかく気分を害されまくるのでした。
特にここ18年間の私の人生は、土砂に埋もれた様な息苦しい年月だったので、既に手放したと思っていた苦しい感情が違う角度から湧き上がってきて、今更、記憶の再生をして思い出させてくるのでした。
これまでの人生の一コマ一コマが走馬灯の如く蘇ってくる、それはまるで、死の直前に今世の行いを見つめ直させられているような感覚というか。
記憶の再生は、その当時の感情を再燃するような感覚が起こるのです。
その一方で、「なんで今更?」と客観視する現時点にいる心の声も聞こえながら、
「あれは何だったんだ?」
「どうしてあんな言われ方したんだ?」
「すごい傷付いて、すごく悔しかった」
「あの時は誰にも理解してもらえないと思って我慢して耐えるしかなかったんだよな。」
と、過去という記憶の幻想の中で、自問自答を繰り返すのでした。
疲れ果てる程に自問自答をしないと、重くてネガティブな感情がなかなか鎮まらないのです。
ネガティブな感情の正体に気付く・・・
楽しいと感じた時や、幸せを感じられた瞬間もあったはずなのに、苦しかった記憶は、心に傷となって残り、ちゃんと癒す事ができないと悪さしていくもの(人生までを妨害する)だと認識しました。
「重くてネガティブな感情」=「重症を負った心の傷」
なので、ちゃんと癒してもらうまで、とにかくしつこく居座る。
というか、心が大泣きしながら助けを求めて訴えているのだと理解しました。
湧き上がってくる一つ一つの苦しい感情に対して、納得がいくまで自問自答が続きました。
というか、重く苦しいネガティブ感情に、「もう本当に助けて。辛すぎるから。」という心の訴えが尋常じゃなくて、無視して逃げることはできなかったからです。
私自身も、「とにかくこの激しい感情の渦から抜け出したい」という思いもあり、
身体的にも起こっている胸の中心から背中まで広がる、痛みを伴う不要な重みを取り払うには、納得いくまで自問自答をする以外無い、とだんだん悟っていくのでした。
これが内観というものだったようです。そして、感情の手放し方法だったようです。
インナーチャイルドの叫びだと気付く・・・
内観が進むに連れ、「もう本当に助けて。辛すぎるから。」という訴えは、
ネガティブな感情の訴えではなく、その固く閉ざされた岩のような塊の中で叫んでいる
「私の魂=インナーチャイルド」の叫び声だと分かったのです。
潜在意識に穴を開けてもらった後に起こった胸の辺りのザワつきは、インナーチャイルドが表に出ようと、必死に硬い岩を叩き割っていたのでした。
それはまるで、西遊記の孫悟空が、マグマのように赤く燃え上がり地割れしながら、硬い岩の中から誕生した時と似たような映像が思い浮かびました。
何故、突然、私生活に支障を来たす程のネガティブ感情ばかりに襲われたのか?
4月までは、「さて、これから本格的にどうやって再スタートしていこうかな」と前向き思考だったはずになのに、
→ 5月になると、急に自分自身と人生に対し、後悔するような気持ちが起こり
→ それまでネガティブ思考という概念を客観的に捉えていた感覚から
→ いつの間にかその概念の真っ只中に居る感覚になり
→ 自分を責める状態になっていました。
考えられる事として、4月になって関わった新しい人間関係が引き金となったような気もするし。
その人との関わりによって、「もう乗り越えた事」と思っていた過去の恋愛関係の破綻の時に味わった「悲しみ・苦しみ・怒り」と同じような辛い気持ちを思い起こさせられた。ということがありました。
「こんなことになる必要は全く無いのに、なんでまたこんな感情を思い起こさせられたのか?」
「自分の発言の何が問題だったのか?」
「何を間違えたのか?」
などと考え込む穴に落ちたけど、「誰が何でどうだったから」という以前に、スーパームーンと夏至の「自分の中にある不要なネガティブな感情を手放す」という宇宙のエネルギーが作用したことが大きかったようです。
5月と6月の宇宙エネルギーの変動の勢いが、私が心の奥にフタをして放置していた
「癒せていない心の傷」
を強制的に取り出して手放すよう、偶然のような姿をして、必然的に促してくれたのだと思います。そう思う以外、突然の感情の大爆発はとても理解し難いものだったからです。
最終的にたどり着いたインナーチャイルドを苦しめていた大きなトラウマ
面白いことに、走馬灯のように過去の色々な記憶が思い起こされる中で、トラウマとなった根本原因(出来事)以外は、自問自答していく間に自然と手放せているのでした。そして、「どうでもよい」という感覚になっているのでした。
反対に、手放したと思ってもまた思い出される記憶があり、その記憶は何度手放し作業をしても、再三に渡って苦しみ感情の再燃に引き込もうとしてきました。
壊れたテープのように、再三に渡って思い出される苦しい感情を伴う記憶。
繰り返す自問自答。
だんだん「いい加減にしてくれ」と疲れを感じた時、
「やっぱりあの出来事って、気にしないように努力したけど、ちゃんと立ち止まって対処しなければならない事だったんだ。実は、もの凄く傷付いて悲しくて寂しくて辛くて苦しかったんだ。」と気付かされたのです。
トラウマ その1: 30歳の時に私に起こった出来事。
断腸の思いで去ったアメリカ生活。その後逆カルチャーショックと共に、時間をかけて築き上げて来た美容師の仕事と、長年一緒に切磋琢磨して信頼していた彼との関係を一気に失う。ということが、私が30歳の時に起こりました。もう18年も前のことです。
暮らしも、仕事も、人間関係も、理想以上にとっても充実していた中、ビザの理由で帰国するしかない現実を、前向きに受け止めたはずでした。
あの時の変化は、思っていた以上に精神的ダメージを受けていたのに、「こんなことで負けちゃいけない。」と、乗り越えるしかないと思っていたのでした。強がって平気なふりを必死にしていました。
しかし実際は、魂がもぎ取られたような、引き裂かれたような、そんな深い傷が出来ていたのです。
そして、たくさんの楽しく幸せだった思い出が、日に日に私の心を酷く苦しめることへと変わっていったのでした。
その時は、自分の中で起こった変化を冷静に見つめることが出来ず、”幸せだった思い出” という記憶が邪魔で、ただただ「記憶喪失になりたい」と、本気で望む程でした。
こうして思考の罠にハマり、思考に捕らわれていることを癒す方法も分からず、心が晴れない状態は、人生までを狂わすトラウマとなっていったのでした。
トラウマ その2: 転勤族の家族として育った子供時代の出来事。
父は全国に支店がある会社に勤めていたので、私が生まれた土地も転勤先の札幌でした。
1歳で埼玉へ、7歳で青森、11歳で秋田、12歳で長崎に1ヶ月間のみ→東京に戻って来ました。その後も父は、単身赴任で更に長崎→東京→金沢→東京と定年するまで転勤が続きました。
小学生の間に5回も転校したため、中学生の時にも引っ越しがありましたが、これ以上転校するのが嫌で、片道1.5時間の電車通学を選びました。
当時の私は、未知の土地への不安・緊張・心細さという恐れをベースとした感情よりも、「早く新たな環境に馴染まなきゃ」と、次々に起こる変化を受け止めて、その時その時をがんばって生きていました。
ただ、高学年になるに連れ、違和感を感じ始めていました。
でも、だからといってその違和感を親や姉に打ち明けることはありませんでした。多分、家族も同じように変化の中を一生懸命生きていたからでしょう。違和感を超えられる「お互いを大切に思い合う愛」があったのかもしれません。
毎年生活拠点が変わっていく子供時代を生きる中で感じていった違和感を、「そういうこともある」と受け止めていたはずだったのに。
あの違和感がトラウマとなっていたとは、今回の感情の大爆発へと誘導されるまで、自分の中に溶け込み過ぎて、気付くことはできませんでした。
- 自分の本心を抑える
- 状況に合わせる
- 空気を読みすぎる
- どうせまた移動するから心を入れ込んではいけない
- 誤解されないように我慢しないと
など、魂の欲求を抑え込んで「我慢」をベースとして、子供ながらに環境の変化に対応していったようです。
トラウマに気付いて・・・
人生を通して経験した事、理不尽な経験でさえも、年月をかけてすべてが当たり前の記憶になっていきました。
そして、子供時代にできたトラウマが、30歳に起こった新たな違和感を抑え込み、更なるトラウマを作っていった。と気付いた時、声を上げて子供のように大泣きしていました。
「本当はすごく嫌だった。辛いのを我慢してた。すごく悲しかった。ずっと寂しかった。もう耐えられない。」
迷子になっていたインナーチャイルドが、「なんですぐに探してくれなかったの?」
と、やっと見つけてくれた親の顔を見て、安堵して、ワガママを言うように、溜まった不満をぶちまけるように大泣きしていました。
大泣きした直後から、それまでしつこく繰り返し思い出されていたネガティブ感情が
「いったい何だったっけ?」
と手のひらを返したように、あの感覚に同調できなくなっているのでした。
という、トラウマの克服体験をしました。
エンパス体質が受け取ってしまう不要な感情の正体に気付き・・・
しかし、トラウマの克服が出来た後も、重い気分や寂しい感情が襲って来ることは度々起こり、落ち着いた気持ちが定着するようになるまでには、しばらく波がありました。
(7月中もまだまだ波があって大変でした。)
母と普通に美味しいもの食べている時に、
「ママも年取ったけど、こうしてまだ一緒に出かけられて、買い物したり食事ができるって幸せだよね。」
と思った直後、涙を流したくなるような悲しい感情が襲ってくるのです。
それは、「ついこの前まで迷惑なくらい悩んでたくせに。あの苦しい状態を忘れたわけ?」と責められているような、罪悪感のような感覚になるのです。
しかし以前と違うところは、感情の大爆発を経験した後からは、不思議と、この不穏なネガティブ感情に対して距離が出来たというか、客観的に観察できるようになっていました。
「今、この瞬間、何も悩むことはないよね?」
と、ネガティブ感情に心の中で問いかける自分がいました。
すると、そのネガティブ感情が、「バレたか!」といった感じでスッと逃げていくのでした。
「これ、私の感情じゃない!」
と、分かった瞬間、とても恐ろしくなりました。これが、感受性が強いとか、共感能力が高すぎるとか言われていた、エンパス現象だと分かったのです。
チネイザンを受けて、自分がエンパス体質であることが明確に分かったのですが、
無意識に必要以上に、重い気分や寂しい感情を自分に取り込んでしまっていたために、感情の大爆発の規模も手に負えないレベルに酷かったのは、エンパス体質の影響もあったのだと思います。
自分では無意識に、自分のカラダの外側に広がる感情体よりも更に広範囲に渡る、目に見えないエネルギーまでをも感じ取ってしまう能力の事。その感じ取る能力は、自分の感情との境界線が曖昧な為、ネガティブなエネルギーの場合、それを自分の問題と捉えてしまう傾向にある。だから、丹田を鍛えて自分軸でいることが、自分を守る方法となる。
そこで、丹田を意識して背筋を伸ばしてみました。すると、私の意識が体の中に収まった、というか、外側へ広がらない感覚になったのです。とても不思議な変化を体験しました。
記憶と感情という幻想の中で闘っている時、私の人間としての姿の実態は・・・
1日中寝たきりで、死人のような姿が何日も続きました。
毎朝目覚めると、なんとも言えない悲しみ・寂しさのような苦しい感情が湧き上がってきて、胸の辺りが痛くて、体が抑えつけられる感覚になってしまう。がんばって起き上がったとしても、すぐにソファに寝転がってしまう。
それ位、胸が重くて苦しいので、瞑想や運動どころではありませんでした。
朝も日中も夜も、睡眠に入っている時以外は、常に泣きたくなるような感情が漂って落ち着かないのです。横になりながら目を閉じて瞑想を試みると、余計に感情がグチャグチャになってしまい、発狂したくなりました。
そこに尋常でない眠気も重なり、何度も寝落ちするのだけど、感情が胸を突き上げてきて「うわっ」とうなされるような恐怖を感じて目を覚ますのです。
実際に胸が「ドンっ」と後ろから叩かれたかのように飛び跳ねる、という怪奇現象のようなことが起きていました。とにかく自分では制御不可能な状態が続くのでした。
例えるなら、映画で見たことがある、ヤク中の人が入院して、クスリがカラダの中から抜け出るまでの間、幻覚症状と戦いながら、寝たきりで身体も震えが止まらない。といったような。
改めて、相当ヤバかったです。でも、本当にそれくらい酷い苦しみで寝たきり状態になっていました。
あの姿は、「また酷いうつ病になってしまったのか?」と混乱させられました。
しかし、うつ症状と同等な精神状態になって寝込んでしまっている状態に対して、「なんで今更?」と疑問に思い客観的になった瞬間が来ました。
それは、ちょうど繰り返し湧き上がるネガティブ感情に対して自問自答することにも疲れて来た時だと思います。
乗り越えた今だから分かることは、うつになった根本原因となる出来事(トラウマ)が鮮明に思い出されて、うつ病の追体験が起きたのだと思います。
一緒に暮らしている高齢の母も、私に何が起きているのか理解するまで相当気を揉んだと思います。本当に申し訳ない思いと、辛抱強く見守ってくれたことに感謝しかありません。
最後に
いつの日か始まった私の心の葛藤。その原因を探し続けている間に、18年という長い年月を費やしていたのでした。
これ以上普通を装って生きていくことに、心もカラダも悲鳴を上げたことで、本格的に自分を見直すことに専念する療養期間を設けて3年目になりました。
そして遂に、人生までを狂わせた心の葛藤の原因を、感情の大爆発という事が起きて、見つけることができました。ただ、この感情の大爆発は自力で起きたのではなく、スーパームーンや夏至といった宇宙のエネルギー変化が私の感情にも作用したのだと強く思います。
体を持った人間の私と、目に見えない感情を持つ魂の私。
この不思議な感覚は、忙しい日常を過ごしていたら気付けなかったでしょう。
物質主義が重んじられたこれまでの”土の時代” では、目に見えない感覚については疎外される傾向が多々ありました。だから、「心の葛藤にじっくり向き合うよりも、働け。」といった感じで過ごさざるを得ませんでした。
そして今回の経験を乗り越えてみて、私のトラウマを作ってしまった要素は、”土の時代” の価値観が作り上げていった、というトラウマの仕組みが見えました。
ようやく、目に見えないことも認められる”風の時代” になり、心の葛藤を探る時間を持つことを自分自身も許せるようになり、「地上の現実と宇宙のスピリチュアルなこととの関係性は大いにある!」と確信に至りました。
7月中旬からこの記事を書き始め、8月になって、やっと書き終えることができました。
去年までは、天体の移動時期のことにそれほど興味はありませんでしたし、その影響を強く受けるといったこともありませんでした。しかし、今年の5月26日のスーパームーン、6月21日の夏至、7月26日から始まったライオンズゲート、といった宇宙のエネルギーは、否が応でも私の現実に影響を及ぼして来たので、今まで悩んでいたことに対しての視界が広がって、「宇宙的な理由があってそうなった」という理解が広がって来ました。
それにしても、感情って見えないのに、手放す時には、本当に体にも痛みを伴うんですね。
「人の痛みが分かる」って、すごくスピリチュアルなことに思えてきました。