• HOME
  • BLOG
  • Mind & Spirit
  • 【エンパス体験談シリーズ1】美容師になって開花したエンパス能力。それがスターシードとしての目覚めの苦しみの始まりでした。

【エンパス体験談シリーズ1】美容師になって開花したエンパス能力。それがスターシードとしての目覚めの苦しみの始まりでした。

Sharks under water

エンパスである私は、自分のエンパス能力が開花されたことを知るまで、幾度となくエナジーバンパイアに遭遇し、自分自身のことが分からなくなるまでエネルギーを消耗していきました。

誰がエナジーバンパイアなのか、どんな時にエナジーバンパイアと遭遇するのか、それはそれは実に様々なパターンがありました。

「エンパス vs エナジーバンパイア」という私の体験の数々は、日常の些細なことに思える出来事の中で起こりました。エンパスについて全くの無知だった私は、「自分が弱いのか?」と、自分を責めて苦しみ続け、”苦しみの感情”は取り除くことが容易では無い程大きな塊のクサビとなっていました。

しかし、長い間耐えることしかできなかったこの苦しい記憶をようやく打ち明けてもいい、そのような気持ちに至ることができました。それは、一連の不可解な出来事について十分に学びを得られたからだと思います。

エンパス能力が開花された日々

私はアメリカで美容を学ぶ中で、自分の感性を使って「その人本来の素を整えて個性を引き出していく」スタイルを作ることが楽しくて仕方なくなり、美容師は、私の使命だと思うようになっていきました。

言葉の壁を超えて試験をパスして免許を取得すると、オシャレ意識の高いアメリカ人と共に働くチャンスを得ることができました。そして、自分の感性が益々研ぎ澄まされていく心地よさを実感する日々を過ごしていきました。

どうやらこの心地よい日々に、ハイヤーセルフとの繋がりを感じると共に、エンパス能力も開花されていったようです。

しかしそんな日々は長く続けることができず、ビザの満了により残酷にも日本へ戻らなくてはならなくなりました。それはそれは悔しい思いでいっぱいでしたが気持ちを切り替えて、「日本でもがんばるぞ!」という心構えで帰国しました。

そしていざ日本に戻ってみると、せっかく開花した高波動な感覚はみるみる内に浸食されて、美容師として働く気持ちが重く苦しく感じるものに変わってしまうのでした。

文化の違い:逆カルチャーショック

美容師が使命だと思っていた私の気持ちは、いつしか「美容師の仕事が楽しくなくなっている。苦痛を感じる方が大きくなってしまっている。」という気持ちに変わっていることに、パニックに近い戸惑いを抱き始めました。

アメリカでの感覚

アメリカで働いていた時は、自分の感性を表現することが楽しくて仕方ありませんでした。先輩も仲間も顧客も、規則正しさや誠実さを持つ基本部分は真面目だけれど、気さくなコミュニケーションをする人々だったので、とても爽やかで軽やかな環境の中で働くことができ、周りのエネルギーが自分を良い方向へ引き上げてくれる高揚感を感じながら日々働いていました。

日本での感覚

日本では、アメリカの時と同じような感覚で働きたくてもどうしてもできないのです。常に同僚や顧客など周りの人々に必要以上の気を使ってしまい、なんというか半端ない威圧感を感じて疲れてしまうのでした。

日本のサービス精神への違和感

アメリカのサロンで働いて感じたことは、「ヘアスタイルを素敵に作り上げること」が第一優先であり、それ以外は同じ人間同士、過剰な接客対応を強いられることはありませんでした。ですが日本では、美容技術のサービス以外のことに、過剰と言える程の気を使うことを強いられているようでした。

日本人として日本で生まれ育ち、たったの5年間アメリカ生活を経験し、別にアメリカナイズドされた訳でも無いのですが、「お客様は神様です」的な価値観には元々ものすごい嫌悪感がありました。なぜなら、お客様の前と外では二重人格かと疑いたくなる矛盾が生じた、いわゆる表裏が酷い人が多いからです。自分がお客の立場でも、この価値観の接客をされると妙な違和感を感じてしまいます。

人々への違和感

私が日本に帰国して最初に働いたサロンには、「お客様は神様です」的価値観の元で、顧客にはやり過ぎな位に愛想よく接するのに、スタッフ同士には意地悪い厳しさに豹変するタイプの人がたくさんいました。

しかし一人だけ「自分はお金が必要だから今月末までここにいるけれど、深入りする前に他を探した方がいいよ。」と、唯一この価値観に染まっていない人が親切にアドバイスしてくれました。

そのアドバイスは正しく、速攻で他の職場を探すことにしました。

その判断に至る決定的な出来事がありました。それは、私の前職場がアメリカということが気に入らない店長から、トリミングのみのヘアカットを任された時のことでした。

「アメリカの腕がどの程度か見せてもらいましょ。」

「アメリカに居たって言うけど大したことないのね。」

「アメリカ帰りは何もできないのね」

「アメリカで美容師やってたなんて100年早いのよ」

と、顧客の前で大人気ない嫌味を言われました。これには顧客も「そんな言い方しなくても・・・」と、振り返って、店長の変貌ぶりに驚いていました。しかも、そんな信用していないスタッフに自分のヘアカットを任せたのか?という気持ちにもなったと思います。

  • 私への敵対心なのか?
  • 自分もアメリカで働きたかった嫉妬心なのか?
  • アメリカという国自体への劣等感なのか?
  • 嫌味を言うことが教育だと思っているのか?
  • ただ単に意地悪なのか?

先程まで「お客様は神様です」対応でお世辞なんか言っちゃってた態度から一変して、お客様の目の前で、ヤバい裏の顔を思いっきり晒してしまったではないですか!つまり、私は店長の本性を暴露させてしまったようです。

こんなにも露骨な嫌がらせを受けたのは、あの時が人生で初めてでした。あの時、もちろん傷付きましたが、どちらかと言えば、この店長の人間性の低さと古臭さへの嫌悪感の方が大きかったです。

それよりも私にとってのダメージは、

  1. アメリカでの爽やかで軽やかなコミュニケーションの世界から、とんでもなく最悪な世界へ移行してしまったことを痛感したこと。
  2. 簡単には心地よかった世界へ戻れない現実に足を踏み入れていると認識したこと。

この痛感と認識の方が、店長の嫌がらせよりも打撃を受けました。そして、真っ黒い雨雲のような苦痛が私に覆いかぶさってきました。

更なる人々への違和感

次に働いたサロンも、なんとも陰気臭い気持ちを増す要因がたくさんありました。

私はとにかく美容師の仕事を楽しく働きたい気持ちだけでした。しかし、スタッフ内の派閥があり、双方から自分側に付くようにあれこれ嫌な気分になる情報を聞かされるのでした。

更に、接客時の会話や対応をいちいちチェックしていて、後からどうでもいい注意をしてくるのですが、それが失礼に当たることやお店のルールに反していることならまだしも、あまりにもどうでもいいポイントなので、

  • 本気で言っているのか?
  • ジョークなのか?
  • それがお客様を神様だと思うことのなのか?

イエスマンにはなれないレベルの内容すぎて拒絶感が半端なかったのですが、その気持ちを抑えて接客すると、無駄な気を遣うようになって萎縮していきました。

スタッフによる抑圧感や威圧感だけでなく、「お客様は神様」だと思っているタイプの顧客による横柄さと依頼心などが渦巻いたエネルギーに囲まれているうちに、エンパスであるが故の同調力と共感力は、アメリカでは引き上げられていた感覚から一気に引きずり降ろされるようにエネルギーは擦り減っていきました。

ヘアサロンは山ほどあるというのに、なぜまたこっち系の所へ?という疑問が絶えませんでした。。。

当時はエンパスということはもちろん、自分自身がエンパスだとは到底知りもしなかったので、充実感も達成感も楽しさも得られない状況についても心の整理が付かず、ただただ「重苦しい気持ちを乗り越えなければ。」と耐えました。

その忍耐は、やがて尋常でない酷い体調不良に見舞われ、美容師として働くことが更に苦痛を感じるようになってしまうのでした。

働くサロンがことごとくハズレなため、「そのような所を選んでしまう自分のどこに問題があるのか?」「それとも単なる貧乏くじを引いただけだったのか?」などと堂々巡りに考えるようになっていました。美容師が使命だと感じる程に楽しく生き生きしかった自分の姿から一変し、普通の気持ちで働けなくなっていく自分に対して、自分の人生がなぜこんな方向へ向かってしまったのか思い悩み、自分の欠点探しをするようになり自信を失っていきました。しかし20年が過ぎた今だから言えることは、エンパスのあれこれを体験していく前奏のような時期だったということ。当時を思い出すだけで、あの重苦しい感覚は恐怖を感じるものですが、全てはエンパスにまつわることを理解するために必要な経験だったのです。

エンパス能力が悪循環に

擦り減ったエネルギー状態になっていることも明確には気付くことが出来ずに、私は重苦しい気持ちを乗り越えて美容師としての楽しい感覚を取り戻そうとなんとかがんばって働いていました。そして、無知が故に無防備な状態でエンパス能力を働かせていました。

私は、シャンプー時や仕上げ前のマッサージで顧客の疲れを癒していました。

そこでやっていたことは、無意識に人々の滞った悪いエネルギーを受け取り、癒しを施していたのです。結局、霊媒師並みのことをしていた訳ですから、人々からは喜ばれました。単なるシャンプーではなく体調まで元気に回復してしまうのですから。

顧客が喜べば喜ぶほど、私は日に日に体調が悪くなっていくのでした。それは、浄化方法やプロテクト方法なんぞ知らなかったので、自分の体内に他人の不要なエネルギーが溜まる一方になっていたからです。

ついにエナジーバンパイアの餌食に

無意識のうちに霊媒師並みのことをして自分の体調が悪くなってしまった頃には、エナジーバンパイアに自分の存在を開け放っているも同然の状態になっていたのでした。

私はフィジカルエンパスの要素のみならず、エモーショナルエンパスの要素まで大放出していたのです。それは、人々のメンタル面のケアまで美容施術をする中で行なってしまっていた、ということです。

主なエナジーバンパイアは、恐ろしいことに近しい知人達だったという・・・

私はサロンで働く傍ら、フリーランスで親戚や友人などのMakeover(イメチェン)を行なっておりました。

Makeoverプロジェクトについて

私のMakeoverプロジェクトは、アメリカ時代に「何をどうやっても、もさい友達を何とかして欲しい!」という依頼から始まりました。

プロジェクト第一号だったその顧客は、ジリジリのくせ毛で髪の毛が頭の倍の大きさに広がってしまうために、いつも後ろでひとまとめに結わいていました。眉毛の毛も多く、肌もボコボコと毛穴が開いてしまい、確かにその状態からは何をどうやってもお洒落に変身するのは厳しく思えました。

そこで、彼女の髪質、肌質を整えることから取り掛かりました。

初回にあらゆる手を施して変化を感じてもらった上で、毎日のセルフケアを身に付ける意識を持ってもらいました。

  1. 髪質を整えるためには、しっかりセルフトリートメントをし、必ずブロードライをすること。
  2. 肌質を改善するためには、ぬるま湯のみの洗顔で済むように、なるたけオーガニックの化粧品に切り替えて、たっぷりの化粧水とクリームでしっかり潤いを閉じ込めるスキンケアをすること。
  3. 必ずアイブロウメイクを忘れないこと。
  4. 腕や脚の脱毛をし、手先&足先のネイルケアをすること。
  5. 月に1回はプロのケアを受けて進捗状況をチェックしてもらうこと。

なども実践してもらい、私は月に1回、彼女の価値観をぶち破るお洒落なヘアスタイルを作っていきました。

3回目のMakeoverでは、くせ毛を活かすショートボブヘアスタイルに、ブロンドのウィーヴィングハイライトにチョコレートレッドブラウンのヘアカラー、ヘアカラーにマッチングするカラーリングし毛量をほどよく活かしたアイブロウと、毛穴の引き締まった肌に仕上がった彼女は、自ら進んでダイエットまで始め、すっかり自信を持った素敵な女性へと変身していました。Makeoverプロジェクトは第一号から大成功を収めました。

Makeoverの楽しさは、顧客の表情が目の奥の方からだんだん笑顔になって来て、その人の輝きが現れてくる瞬間を垣間見ることができる所にあります。多分、本人も想像していなかった素敵な自分自身を見つけた喜びと自信を感じ始めるのかもしれませんね。

ここから、人々が素敵に変化した自身の姿を見て喜ぶと私も嬉しくなり、いつしか自分の感性を使って「素を整えて個性を高める」スタイルを作り上げるトータルビューティを提供することが使命だと感じるようになったのでした。

Makeoverプロジェクトは「素を整えていく」ことによって個性が高まっていくものですから、基本的には顧客本人の努力が物を言うものなのですが、近しい知人達は、自ら素を整えていく努力はせずに「私がなんとかしてくれるもの」と捉えていて、ヘアスタイルが劇的にお洒落に変化していくと、なんだか上から目線な態度や発言をするようになり、彼女達の依存心や依頼心がどんどん私に向けられて来ました。

その当時の私は、使命だと思う仕事を純粋な気持ちで取り組んでいたのですが、感性を使う度にエンパス能力も高まっていたことで、依存心や依頼心の強い人にとっての格好の餌食になっていった。というエンパスのカラクリにまんまとハマってしまったのですね。

私が本当にイヤだなと感じたことは未だに覚えています。

  • 白髪が伸びたことを「すぐにヘアカラーがハゲる」という言いがかり的な表現をするようになったり。
  • 綺麗にしてほしいけどお金はあまり払いたくない気持ちから「ちょっと他より高いって(自分はそうは思わないけど)誰々が言ってたよ」と、施術の内容を無視して平気でそう言うことを言ってきたり。
  • 私の所へ知人が入れ替わり訪れることに嫉妬した知人からは「その人がそんなにカラーしたら毛が痛んで見えるんじゃない?ってあの人に言ってたのを聞いちゃった。」とわざわざ電話をかけてきて伝えてきたり。

昔から知っている知人達の本心なのか性格なのか、「いやいや何?そう言う人だったの?」というショックと驚きがありましたが、彼女達は単なる依存心や依頼心だけではなく、私の気持ちを落とすようなことを言って自分達の気分を上げようとするエナジーバンパイアだったのです。

彼女達は、私の家族のMakeoverした姿を見て「自分もやってほしい」と来てくれた顧客でしたが、Makeoverのコンセプトは理解してくれなかったというか、「そんなのはどうでもいい、とにかく素敵にイメチェンして!」という、いいとこ取りをしたいだけのタイプの人々だったということでした。

ただ、親戚や友人という昔からの知り合いというフィルターによって、彼女達は、本来、引き受ける必要のない顧客だということが分かりませんでした。彼女達の本性がハッキリと分かったのは、それから十数年先に父が亡くなったことでフィルターが剥がれた時でした。

身近な人々というエナジーバンパイアとの関わりによって、私のエンパス症状は苦しみを増していきました。「依存と攻撃」という一見、相反して見えるエネルギーは「ギブしてテイクされる」だけの関係性を構築し、仕事を終えた後は、楽しさは感じられず、疲労感と虚しさばかりで、やがて苦しい仕事に思うようになっていきました。

予約の連絡が入ると本来感謝すべきことなのに、自分を取り戻せなくなっていった私は、ストーカーに追いかけられているような強迫観念に苛まれ苦しさが込み上げてきて、「好きだけど嫌い」「いや、もう大嫌い」と思った方がいっそのこと楽になるのではないか?と何度も思った末に、「もう本当に受け止められない」という境地まで至った時には、涙を流して遂に美容師を辞める決意をしたことがありました。

当時を振り返って見ると、私の真剣な思いは物の見事に天国から地獄に落とされたのが分かります。当時は本当にその理由が分からず、ただただ苦しみに耐えながら美容師として「素を整えて個性を高める」トータルビューティを人々へ施していくことを目指していきました。しかし、私が使命を貫こうとすればする程、エナジーバンパイアからの攻撃は強まり、エンパスの苦悩に苦しみが増していきました。そしてついには美容師を嫌いと思うことで諦めるまでに追い詰められました。20年が過ぎた今分かることは、私がスターシードとして目覚めて活動していくことを阻止するサイキックアタックだったということ。私が落ち込んでパワーを無くすように、知人をエナジーバンパイアにして攻撃するサイキックアタックを受けていたということだったのです。

※ スターシードとエンパス・エナジーバンパイア・サイキックアタックの関係についてはこちらの記事をご参照ください。

文化の違い:変わらない法律

アメリカのサロンでの時間は、自分の持つ感覚以上に高い美意識を持ち合わせた人々と働くことができて天国そのものでした。それが、美意識よりもルールに縛られた日本のサロンでの時間は、やっとみつけた使命を遂行するに当たり、自分自身を見失う程混乱する地獄へと変わってしまいました。それは、生きる希望が遮られ断たれていくような苦悩のはじまりでもありました。

薬事法への疑問

美容業を行う中で、国によって変わる薬事法についての疑問が付きまといました。

主にヘアカラー材の薬事法が、アメリカではOKとされるものでも日本ではNGとなる。西洋人と東洋人の体質の違いのためかと思いきや、韓国ではアメリカ同様OKとされるものが日本ではNGとなる。

これはスキンケアに使用される成分にも同様なことがあり、どうやら日本の法律が昭和30年辺りから変わっていないということにありました。

これにより、例えばブロンドヘアにする際に、濃度の強いレベルの薬剤を使用することで短時間で色を抜くことができるのに対し、低いレベルの薬剤がために長時間かかったり、または二度塗りが必要になったり、と余計に髪の毛に負担がかかる施術になってしまいます。

これが、ヘアカラーに対してのイメージが悪くなる要因だと思います。

要は、薬事法で禁止されているものが果たして本当にダメなのか?ということです。時代の変化や研究と検討を実施していると、逆に副作用なく短期的に解決できる成分であったりする。ということです。

私は、この制約に対しても一人疑問を持ち続けました。現代に於いて、ヘアカラー一つをとっても、自由な世界と不自由な世界が存在するということに。

流行遅れ

「日本は素晴らしい国」「日本は世界でも優れている国」などというキャッチフレーズをメディアなどで見聞きし、そのように信じている人々と接すると、なんとももどかしい気持ちになりました。

なぜなら、アメリカで暮らしてみると、そこまで日本に興味を持っている人はいなかったし、アメリカにいると、中国人と韓国人と日本人はアジア人として一括りに捕らえられていたし、日本だけが素晴らしい国ではないと認識したからです。

実際に、私が帰国した2002年頃の日本は、まだまだ閉ざされた社会だったと思います。しかし、「日本は素晴らしい国」というキャッチフレーズの普及により、本音を言うことは非国民扱いされるような、村八分にされるような恐ろしさを感じました。

私がヘアサロンで働く傍ら、フリーランスとしてMakeoverプロジェクトを行っていたのには理由がありました。今でこそ、ブロンドカラーやピンクorブルーなどのヘアカラーを楽しむ人々が当たり前にいる時代になりましたが、2002年当時は、ウィーヴィングハイライトでニュアンスを作るヘアスタイルが世間一般的には普及していませんでした。ですので、サロンでバッシングされてまでやる勇気はなかったからです。

Makeoverを希望した顧客の中にも、「自分は気に入ってるけれど、主人が反対するからヘアカラーを無難に戻してほしい」と言う人もいました。

薬事法の変わらなさと同様に、おしゃれへの価値観にも制約があることに窮屈さを感じました。

ウィーヴィングハイライトを「メッシュ入れたんだ?」という捕らえ方をされたり、「ブリーチは髪が傷むんでしょ?」とか、「お洒落だとは思うけど勇気がない」と言われたりし続けて、ここでも自由な世界と不自由な世界が存在する中、なぜ、不自由な世界へ舞い戻ってしまったのか?と、悔しさを感じました。

2010年頃になって、IKEAやCostCoが日本へ上陸し、日本人の価値観に新しい風が舞い込み、ヘアカラーに対しても新しい認識をする若者も増えていきました。それでも「ちょっと髪の色赤い(明るいの意味だと思います)んじゃない?」と言ってくる人はまだまだいました。

要は、その人に似合っていてお洒落ならば、周りがとやかく言うことではないのですが、斬新さや突き抜けていることへ違和感を感じる人が多いがために、流行遅れになっていることに気付けないのでしょう。それ以前にご自分の姿を見直してほしいです。

集合意識の反映

人生の中でたったの5年間、アメリカ社会で学び働き楽しんだことで、国民性の違いについて考え過ぎるくらいに考えさせられました。

和を重んじる国民性の日本では、集合意識を中心に自分がある人が多いため、社会が言うことへの疑問を持つ人が少ないように思います。

ですから、「素を整えて個性を高める」というコンセプトは、「皆と同じであることに安心感を得る」集合意識の社会では、そもそもチャレンジングなことだったのかもしれません。

また、この集合意識が、薬事法の規制のみならず、あらゆる規制に関しての緩和や進歩をなかなか進まなくさせているのかもしれません。

しかし、この「皆に合わせること」がよいとされる集合意識によって、自己犠牲の精神で自分を苦しめてしまっている人がたくさんいる事実があります。

約20年前に私が使命だと思って取り組んだことは、「素を整えて個性を高め」自分自身に自信を持って生きることの楽しさを、ヘアスタイルを始めとしたトータルビューティで提供したかったのだと思います。しかし、まさか社会の集合意識との闘いが待っているとは、まだ若かったあの時の私は想像することができませんでした。

まとめ

「もしも美容師にならなかったら?それともアメリカへ行かなかったら?私のエンパス能力は、ここまで敏感に開花しなかっただろうか?」と、自問自答する日々は長く続きました。

エンパス能力をポジティブに活用できたのはほんの一瞬で、その後20年近くもエンパス能力の悪循環に心身共にボロボロになるまで苦しんだ時間が長かったために、自分自身と自分の人生に対して悔し過ぎて、なかなか美容師になったことが過ぎ去った過去の出来事として受け止めることができませんでした。

日本へ帰国した時、長年付き合っていた彼とも、突如、まともな話し合いもできないまま別れに至ってしまう出来事が起こりました。私にとっては、仕事もプライベートも分かり合える人を失い、まさか30歳にしてこんな酷い仕打ちを受けるとは、ガッポリと自信を失いました。

そうして30代、40代と苦しみととことん向き合う時間を過ごしました。いつまで続くのだろう?と途方に暮れていましたが、「私がスターシードであり、エンパスであり、エナジーバンパイア やサイキックアタックについて、そしてそれが地球のアセンションが開始される頃に理解する」という私の魂の計画に気付いたことで、美容師にまつわる一連の出来事を受け止めることができるに至りました。

  • アメリカで暮らしたいと思ったこと
  • 美容師になりたいと学んだこと
  • アメリカと日本の違いを美容師を通して経験したこと
  • 日本社会の意識を改めて認識したこと
  • 使命を果たしきれなかったこと

などなどありましたが、

全ては、日本の人々が囚われた意識によって眠っている状態から、美意識を使って目覚めを促そうとしたけれど、闇の存在によって阻止が行われたということでした。

美容師にまつわる一連のサイキックアタックはほんの一部に過ぎず、この20年の間に、人生に於けるあらゆる分野でサイキックアタックが行われていました。これもスターシードの宿命なのだと、今の私は受け止めることができます。

現在は、自分自身と家族のみに、「素を整えて個性を高める」トータルビューティを趣味でおこなっております。82歳になる母が、心身共に生き生きしく若々しく歳を重ねることができたことが、美容師として使命を過ごせた自分がいたことを思い出させてくれます。

私の30歳から経験した理解不能に苦しい出来事がスターシードの役割でもあったことを理解できた今、その経験談をシェアしていくことも使命の一つかもしれません。

関連記事