【続編2】記憶を消されたスターシード!?地球のエネルギーが入り込んだ後、私はどうなったか?
『【続編1】記憶を消されたスターシード!?地球のエネルギーが入り込んだとは・・・?』の続きです。
地球のエネルギーが入り込んだ後、私は苦しみのパラレルワールドへ引きずり込まれていったのですが、
初期症状は、こんな感じでした。
まず、平穏は乱され、不安と恐怖と孤独といった感覚が、私の許可なく”ズケズケと😤”という感じに入り込んできて、
本来の私は希望を新たに日本へ帰国したはずなのに、不安と恐怖と孤独といった感覚が入り混じって、自分に対して”罪悪感でいっぱい”になり、理由も原因も不明のまま解決しようのない苦しみで、暗くて重い精神状態へと落ちていきました。
やがて身体にも影響が出てきて、常に背中や足腰が寒く不安定になり、尋常でない頭痛がこめかみや前頭葉を締め付け、寒気と割れそうな痛みに耐えるしかなく、健全で健康な人間生活を送ることが困難になっていきました。
「なんで?どうして?」
「こんなあり得なくヤバい状態は何?」
「私ってこんなんだったっけ?」
と自問自答を繰り返してしまい、不安と恐怖と孤独感が増幅され続け、受け止めたくないパラレルワールドに移行したことを再認識させるように思考がバグり出し、
「そうだった!私は罪悪感を感じて生きなければならない状況になってしまったんだった!」
と目に見えない何かに操られているかのように思い出し、”罪悪感と共に在る自分”として認識していくのでした。
こうして私は、ポジティブな状態から一気にネガティブな状態へと反転した自分となり、ネガティブへと反転した世界が目の前に広がり、ネガティブな道しか選択肢がない状況に置かれ、
「それに従うしか生き延びる方法はない・・・」
と、目に見えないエネルギー領域から何者かに拉致されたような境地になり、
「無抵抗で在る方が安全だ。無感情になった方が苦しくない。」
と更なる信念体系が出来上がり、ネガティブエネルギーの勢いに降参しました。
自分の波動が完全に落ちてしまったことを感じさせられた瞬間
ある時、たまたま参加したワークショップで一緒になった人たちと食事をしたことがありました。
皆に合わせて、普段は飲まないビールを注文しました。すると、体の力が緩んで、”楽しい”という感覚が少し垣間見えたことが嬉しくて、結果的に、生ビールを3杯飲んで、やっと人並みの明るい気分に近付けることに気付きました。
これは、いわゆるアルコールによる”高揚感”に浸れただけで、偽りの楽しさはお酒の酔いが覚めると共に去って、逆に、自分自身が相当”暗い”感覚を持っていることを思い知らされ、更に落ち込みました。
自分の精神状態や感情が、平穏だったかつての自分からは想像もつかない程、相当な低い波動になってしまったことを感じさせられた瞬間でした。
私はそこまでお酒が好きではないことと、偽りの楽しさの後の落ち込みの辛さを思い知ったことで、アルコール依存になることは幸いにもありませんでした。
それはいいことだったのかもしれませんが、ネガティブエネルギーに降参してしまった自分は、結果、取り戻したくても成す術を見つけられない程低い波動になり、一瞬でも気分を紛らわすことができたビールを飲むことも、その後の更なる下降状態を考えるだけでも怖くて、結局、自分の波動が完全に落ちてしまったことを分かっていながら、低い波動領域を彷徨うことが続くのでした・・・
意志の力が働かなくなる
地球のエネルギーとやらが入り込んで、自分が精神的にも肉体的にも苦しみの中に引き込まれていくような状態にもがいている間に、
「私は願いを叶えることができない。」
「自分の人生に幸せや生き甲斐を求めることを諦めるしかないのかもしれない。諦めて耐えるしかない。」
という苦しい信念体系が、いつしか私の中で出来上がってしまいました。
ハイヤーセルフとの繋がりを当たり前に生きていた頃までの自分は、基本的に周りの誰よりもポジティブ思考でした。
私は小学校を5回も転校する転勤族の子供として育ったのですが、学業や習い事や交友関係など、自分の意志とは無関係にブツブツと断ち切られ継続できない環境の中を、親の仕事によるものだから「仕方がない」と受け入れ、不満も言わず、コロコロ変わる新天地において精一杯自分を生きる子供時代を過ごしました。
そのような状況を生き抜く中で、新天地で自分自身を理解してもらうために、自分が培ってきた学力と得意な運動神経を表現することに集中することで、どこに居ても”自分を発揮するとチャンスを得られる”という生き方に疑いを持たず、そのように生きることが当たり前だと思っていました。
しかし、高校生になると、「どうせ」という諦めの考え方を基準とした同級生が現れて驚いた⁉︎というかショックというか、自分にはなかった考え方に対して、なんとも言えない”寂しさ”というか”つまらなさ”みたいな、曇り空のようなエネルギーが漂ってくる感覚になったのを思い出します。
「どうせ」という諦めを基準としていた友達から、アンハッピーな結末やアンラッキーな事態に遭遇してしまった話を聞くと、「物事を否定的に捉える傾向を根底に持っていることが問題なのではないか?」と思いつつも、当時はそれを言葉にすることはありませんでしたが、モヤモヤする違和感を毎回感じていました。
『【エンパス体験談シリーズ2】友達がかなりのエナジーバンパイアだった件』
地球のエネルギーを重たくしているネガティブ思考・ネガティブ感情がズケズケと私の中に入り込んでから、
5年ぶりにアメリカから帰国し馴染みのある新天地となる母国に於いて、自分が培ってきたことを表現することに集中し、精一杯自分を生きることができなくなるという現象が待ち構えていました。
その要因として、「自分のやりたいことをやる!」「自分の得意なことを表現していく!」という生き方に対して、家族以外の身近な知人達(親戚・日本の友達etc.)から「そんな生き方は認めない😤」といった無言の圧力が一斉に向けられたのでした。
(もしも赤の他人からの圧力だったなら、そこまで気にせずに打撃を感じることはなかったのだろうか?)
こうして、私は目に見えない抑圧に覆われていき、”認められない”という孤独感と恐怖、行動を起こすことへの恐れと苦痛、否定の言動に心が傷つき、基本的にポジティブだった私の思考は歪んでいき、どんどん臆病になっていく状態に更に恐れを感じ、やがて、生きていることに対して罪悪感でいっぱいになっていました。
ハイヤーセルフとの繋がりを断ち切られ無防備になった私は、乗っ取られるようにネガティブ思考に書き換えられ、それまで意志の力で自分の望みを実現してきた生き方が通用しなくなり、些細なことさえも現実化できなくなってしまいました。
ネガティブ思考に書き換えられた私の現実は、
仕事に於いてもプライベートに於いても、それまで築き上げた状態・状況・関係性を一気に失い、
「嫌なことを我慢して、努力して乗り越えなければならない。生きることは苦しいこと。」という意識に染まり、充実感や幸福感はどんなに努力をしたところで手に入れることはできないものとなり、意志の力は無力化し、苦しんで生きるタイムラインからは這い上がれなくなる・・・という時間に迷い込んでいくのでした・・・20年以上も・・・
うつ症状との闘い
”自分が生きている”ということに”罪悪感”でいっぱいになっていった私は、「いきいきしく過ごしていた自分はどこへいってしまったのか?」そのことについて考えようとすると行き詰まってしまい、「いきいきしかった自分を取り戻すことは到底難しい・・・」と狭い視野に閉じ込められた感覚になり、精神的にも肉体的にも弱っていきました。
気付けば、”罪悪感と共に在る自分”として過ごす時間の方が長くなっていき、やがて「うつ病」の症状との闘いの日々へと突入していきました。
狭い視野になったことにより、
- 朝が来て、”罪悪感”が押し寄せてくる。
- 生きる意味が分からなくて、朝目を覚ましてしまったことが後悔でしかない。
- 掃除機をかけることがこんなにも難しいことだったのか?と感じてしまう程、途中で手を止めて考え込んでしまい涙が出てくる。
- 洗濯物を干さないといけないのに、どれから手をつけたらいいのか考え過ぎて夕方になってしまう。
- こんな状態の自分の存在を世間に知られたくない。隠れていたい。どうして放っておいてくれないの?と、強迫観念に駆られていく。
このような状態に陥り、狭い視野の中で身動きできなくなっていく不安が大き過ぎて、気付くと泣いてしまう日々が続きました。
突然の理解し難い自分の状態に戸惑う私の内側では、
- 急に生きる指針が分からなくなってしまった・・・
- なんだか心が痛い。でもどうしたらいいか分からない。
- 自分の中で大切な何かが欠けてしまったようだけど、それが何なのか分からない。
- 大切なのに、欠けてしまったものを見つけられない。
突然、苦しみのパラレルワールドに迷い込み、自分自身のことが「分からない」という感覚に埋もれ、迷子になった気分に陥りました。
しかし、人前に出る時は、自分を見失って泣いてしまう程苦しんでいた私を封印し、苦しんでいる姿は微塵も見せず平常心を装ってしまうのでした。(いわゆる”微笑みうつ”というものに当てはまる行為だったのかもしれませんが。)
結果として、人々に見える私の姿は、一見しただけでは何も変わったようには見えなかったという訳です。しかし、人から理解されない苦しみに更に苦しむ。という矛盾する自分自身にますます苦しみが増していきました。
なぜ平常心を装ってしまうのか?
- 「いきいきしく生きていた自分だったはず。希望を抱いて帰国したはずだった。それがなんで?どうして?」というちょっと前までの自分に対する認識が、人と接する時に平常心を装わせたのかもしれません。
- アメリカ時代に仲が良かった友達に苦しみを打ち明けてみた時に、精神が病んだ人に対する警戒心のような一線を引かれた瞬間を見て、理解よりも誤解されることなのだと分かり、かなり深く傷付き、うつ病に対する世間の不理解を恐れていたのかもしれません。
そのようなこともあったからか、自分の内側で巻き起こっている苦しみが、うつ症状の一種として結び付ける意識にはなりませんでした。
また、もう一つの理由として、医学的なうつ病の概念や定義に準えた対処法が私には当てはまらなかったからです。
ある時、やはり自分に問題があると思って、心療内科へ行ってみました。そこで簡単な問診をされただけで、私の話を聞かずに「じゃ、薬出すから。」と言われた時に、「そういうことではない!」と、強い反発心と憤りを感じ、初めて他人に声を荒げてしまいました。
スターシードの私としては、目に見えないエネルギーによる妨害が起きて、急に記憶や意識が操られたように分からなくなり、挙句、心も受け止めきれない苦しみが停滞している。その状態に堕ちていく瞬間瞬間を覚えていて、でも自分では阻止することも振り払うこともできない。なぜならそれが何なのか?目に見えない霊的な何かが関係していると否めなかったからです。
よって、三次元意識レベルの霊能者を訪ねた時にも、心療内科を受診した時と同じことが言えました。
「記憶を消されて地球のエネルギーが私の中に入り込んできた。」という理解し難いことが私に起きて、長年うつ症状の苦しみを味わった訳ですが、
- 記憶を消された=目に見えないエネルギーによりハイヤーセルフとの繋がりを遮断された
- 地球のエネルギーが入り込んだ=地球に根付いた闇のネガティブエネルギーに意識をハイジャックされた
- 闇のネガティブエネルギー存在は実在していて、ハイヤーセルフとの繋がりを得た私は妨害され、自由意志を機能不全にされた
- 自由意志で生きようとすると、周りの人を使ってことごとく否定や否認をされるサイキックアタックの攻撃が続いた
- あまりのサイキックアタックに私は生きる気力を失っていき、心に穴が空いてしまった状態にまで堕ちていった
- 人間として社会の一員のように存在はしているけれど、苦しみのあまり魂が体外離脱し自分が自分じゃない感覚に陥り、現実創造ができなくなり、死んだように存在するようになってしまった
といったうつ症状との闘いから抜け出すには、スピリチュアルな目覚めに気付くまで(気付くため?)続いたのでした。
失ったもの
地球のエネルギーが入り込んだ後の私自身と私の人生は、一言で言えば、「めちゃくちゃになった」でした。
5年間のアメリカ生活で、堅実に着実に自分の生きる道を築き上げてきた”自信・キャリア・人間関係”はずっと続くと思っていました。しかし、日本へ戻ってきた途端、全てが水の泡となって消えてしまうとは・・・
突然、引きちぎられるように起きた彼との別れ、人々からの否定、等々が一度に降りかかり・・・やがて集合意識の抑圧に思考が支配され、自分の意志は封じ込まれ、心にナイフが刺さったような痛みを癒す方法が分からず、どうすることもできないまま、
その時その瞬間を「がんばれば道は開かれる!」と信じて向き合って対応してきましたが、どんなにがんばったとしても、私の中で欠けてしまったものは見つけることも埋めることもできず、「自分が自分ではなくなってしまった感覚」を取り戻せないままとにかく生き続け、
私は、人生の喜びや安心感を得られる体験とは無縁の人生となりました。
職が安定しない、結婚をしない、子供を持たない、ましてや彼との突然の別れが起こる、という人生を歩むことになるとは思ってもいませんでした。
- 心が通じ合う喜びや安心感を得られなくなった
- 子供の可愛さや幸福感を味わえない
- 自分自身に対する自信を失い、改めて誰かを好きになる気持ちなど分からない
- 仕事をがんばっても達成感や充実感が得られない環境
- がんばった分が収入として反映されず、経済的な不安から抜け出せない
私以外の人々には当たり前に訪れる人生の流れ・・・その流れに乗るどころか、マンホールへ落ちて出られなくなってしまった私の状態を、家族以外の親しかった人々ほど理解を示してくれず、逆に、世間一般的人生のレールを生きていない私のことをジャッジする・・・
それは悲しみ以外の何物でもなく、深すぎる傷として刻まれました。
そのうちに、その人たちと会うと落ち込むようになり、その落ち込みから回復するまでの間、発展性のない無駄な時間がかかることに苦しみ、会うことが苦痛になっていき、誘いを拒絶するようになってしまいました。
自分の人生で、親しかった人に対して不義理をするようなことをする自分になるとは思ってもいませんでした。
特に、人生の多感な時期にお互いの夢の実現のために支え合って苦楽を共にした彼と、ちゃんと話し合うこともなく別れてしまった事実は、私の中で、「来世まで持ち越してしまいそうな深い心の傷として残ってしまうのではないか・・・」と、別れてからずっと本気で悔やんで仕方ありませんでした。これも私の魂の計画の一部なのかもしれませんが・・・
しかし、どんなにかつて親しくて楽しかった懐かしい思い出があったとしても、彼を含めその人たちとはもう会いたいとは思いません。やはり、私にとっては悲しみと苦しさを思い起こさせる存在となってしまった人たちだからです。(たとえ私があの時の苦しさを手放し気にしなくなったとしても、お互いに、もう違う感覚の世界を生きているのだと思います。)
私は、人生の喜び・幸福感・安心感といった時間を失いました。
失ったものの時間が長くなればなる程、悲しみという心の傷は深くなり、世間との距離はどんどん離れていきました。
20年も経つと、世間一般には当てはまらない人生のレールを生きてきた私は、自分がスターシードであることを納得できるようになってきました。そして、もういい加減、人々との違いに気を取られないくらい、スターシードの自分を生きることを自分に許可する時が来たようです。